銀太郎広告アリ全ページ
4/29

組合事務所では、栃木支部の三役、支部長の丸山さん、副支部長の室橋さん、書記長の市川さんが、額をつき合わせて何ごとかをひそひそと話し合っている。入り口のドアのガラス越しに、それがよく見えた。 「こんにちは。吉川銀太郎ですが」 ドアを開けながら銀太郎は、三人に向かって声を掛けた。いつものテンション高めの声に、三名はそろって銀太郎の顔をみた。そして、 「ご苦労さん」「おつかれ」「やあ」とばらばらな返事であったが、声のタイミングだけは一斉に揃えて笑顔を返した。 三人は、九月の労働組合の定期大会に参加する代議員の選挙用紙の集計作業をしていたのである。ちょうどそこに、銀太郎が顔を出したというわけだ。そういえば、何日か前に職場委員の藤原さんが、配送課の代議員を誰にやってもらうか投票してくれといってきた。そして銀太郎は藤原さんの名前を書いて投票したことを思い出した。 藤原さんは同じ配送課のドライバーで、銀太郎の一年先輩である。仕事についていろいろと教えてくれるし、相談にのってもくれる、とても冷静で客観的な見方ができる人だと銀太郎は感じていた。職場の代表としては藤原さんが適任と思って、今回も投票したのだった。 「銀ちゃん、君が配送課の代議員として選ばれたんだ。一年間よろしくね」室橋副委員長が愛想よく切り出した。 「え、えー‥‥‥?」。驚いた銀太郎は言葉が続かない。 「藤原さんじゃあないんですか?」やっとの思いでつぶやくように言った。 「藤原さんは次点で、君への投票が一番多かったんだ」市川書記長が言う。 「代議員の仕事は、まず九月の第二週の金・土に、東京のホテルで開かれる一泊二日の大会に出席することからスタートします。事前準備として、すでに職場に配られている議案書をよく読んでおいてください。大会の詳しいスケジュールは追って連絡します」丸山支部長が銀太郎に質問の余地を与えないように話をたたみかけてきた。それは、 「何を言っても結果は変わらないのだから、事態を受け入れなさい」とでもいっているようだった。 「はあ‥‥‥」としか、答えようのない銀太郎である。 「‥‥‥‥‥」しばらく沈黙が支配した。 銀太郎は思い出した。確か、藤原さんが投票用紙を皆に配りながら、 「僕は今年で任期が終わりなんで、次は順番でいくと銀太郎です」と言っていたことを思い出したのだ。 銀太郎にとって、思いがけない突然の出来事ではあったが、現実は受け入れなければならない。 (そうだったのか、あのときのセリフは、こういうことだったんだ。でも、しょうがない。いつかは、誰かがやらなければならない役回りだからな‥‥‥) 銀太郎は持ち前の楽観主義によって、気持ちを切り替え、受け入れ態勢を整えたのだった。 [定期大会] 労働組合の総会のこと。「労働組合法」によって年一回、活動や会計報告等のための開催が義務付けられている。組合員数の多い労働組合の場合は、代議員制によって開かれている。労働組合の最高意思決定機関である。会社でいえば株主総会にあたる。 著者:西尾力 / B5版 203頁 定価 2,100円(税込) 21世紀型労働組合の理論と手法労働組合活動へ情報発信を続けてきた西尾力がこれまでの原稿をまとめて本にしました。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です